2005.02.03 (Thu)
■ 節分。
■ [雑記] 節分いべんと
近くの鈴鹿神社ってところで豆まき見てきました。NHKとかでもよく見るこの時期恒例のアレです。いやー、もう有象無象が凄いのなんの。あの腐れ市長が投げた豆に群がる様とか、まるで「千と千尋の〜」でカオナシが砂金をばらまいているシーンそっくりでしたね。ああ怖い。鳥肌が立ちました。気分が悪くなったので一回目の豆まき見たら帰ってきました。
■ [音楽] DTMイベント考察(2)
有り難う鷹氏。今更だけど漸く撃墜王2の主旨が判った気がしました。BBSの方と照らし合わせながら日記のほうを読ませて頂くと、なるほどと。結局のところHR/HMのなんたるかを知らないが故にリスナーがリフを求めているかどうかという根本的な部分から疑ってましたからこれはもう完全に自分の勉強不足でした。それと、批判文ではないつもりでしたが明らかに批判っぽい文章でしたね。重ねて申し訳ないです。
さて、昨日の記事ですが、何度も言いますけれどこれは批判文ではなく今後のイベントへどう繋いでいくべきかという文章であって「三大祭はダメだった」とは思っておりません。様々な教訓を残しながらもしっかりと開催した部分は称賛されるべきでありますし、楽しくなかったかと言われればいいえと答えます。実際自分もチャットに顔を出して色んな方と交流できましたしね。そういえばここでRuhe氏やふぁいすた氏など他沢山の方々と出会ったような覚えがあります。
■ ちょっと此処で時間が空いたので段落変えます。
イベントのメインは楽しむこと、ですか。その楽しみ方ってのは、人それぞれなんだなあと思う。楽しみたい人は楽しめるし、楽しもうと思わない人はきっとずっと楽しめない。そしてより多くの人が楽しめそうな環境を提供すべく模索していくのがイベント主催者なんじゃないだろうか。
確かにイベントというのはその主催者の自己満足とかで始まるものだけれど、結局のところ「作り手」と「聞き手」に属する人たちも巻き込まざるを得ないのだから、その場を如何に有効活用しこの界隈を盛り上げるか、またその起爆剤となりえるかが重要なんじゃないだろうか。なんとなく、時間を空けて考えを纏めてみたらそういう結論に達した。
主催者の独りよがりじゃいけない。かといって参加者主体でも纏まらない。主催者は場の提供者であり、かつ調停者であるべきなのだろう。能動者と受動者の仲立ちをする役割を担う。それも仰々しく行うのではなく、それとなく自然な形で消化されるように。……それが自分の理想とする形なのかもしれない。
SJFでは交流が殆ど無かった。ただ曲を公開して、おしまい。それじゃ寂しいじゃないですか。だから今度こそ、もっと良きイベントにしたいと思う。最終的にはJazzから離れてもいいと思っています。SMAFを引き継ぐような形で定期的に開催するのでもいいかもしれないな、などと考えてみたりします。今考えたんですけど。
こんなのが自分の意見です。今度は割と上手く纏まったような気がします。