2008.03.24 (Mon)
■ [雑記] 児ポはともかく
先日あった、通り魔事件。
朝の民放のニュースを見ていると、どいつもこいつも「ゲームが悪影響をうんたらかんたら」としか言わない。何処かの局では誰かが「犯罪を犯した人がたまたまゲームを趣味にしていただけでしょう」と言っていたのには大いにエールを送りたいのだけど、それ以外のコメンテーターはまったく。仮想と現実を混在させているのはコメンテーターの人たちのほうだろうと。
そもそも、きちんと統計学を専攻している人間が統計を取ったゲーム所持と犯罪の関連性についての研究資料だとか、存在するのかどうか。たまけんが引用した「1%」という確率も信じて良いのかどうか疑うわけで。たまけんを疑う訳ではなく、標本として。
こちらもまた引用元があれですが、今や死語となったゲーム脳のあきおっち*1は、たかだか5人かそこらにテトリスを数時間もプレイさせておいて「β波が出なくなったから思考能力ダウン=これこそゲーム脳だ!」とかのたまったりしました*2から、きっと全うに統計とった人間なんて居ないのではないかと。そもそもどうやってサンプルを集めるのかも謎だし。対象とするゲームの区分は? 所持本数でサンプリングするのか? などと。そもそも全犯罪者に対してゲームの所持本数をいちいち調べているとも思えませんが。
とはいえ恐らく統計を取ったところで、そこに有意差が現れるとはとても思えず。むしろやはりそういったゲームこそストレスやら欲望のはけ口になってくれて犯罪抑止効果があるのではないかとも、やはり思わなくもない。ここらはたまけん先生の方がしっかり書いてるので譲りますが。
我々は漫画や小説、ドラマ、ゲームによって、一足先に他人の人生を追体験して「人を殺すことはいけないことだ」とか感じていったりすることが出来る。これは凄いことだと思うのだけどなあ。現実世界とは異なる仮想世界を作り出し、しかもそれを他人に提示出来る生物は、人間しか居ないのに*3。
で結局のところその人間次第だろうに、という結論になってしまうのはアレなのですが。
心理学的に言えば、その人間を形成するにあたって最も影響を与えるのは親であり、家族であり、教育であり、友人であるからして。我々は周りに溢れる数多の刺激(いわゆる環境)の中で生きて、それら全てに影響を受けて人格形成しているというのに、その中からゲームだけを抽出して良いように叩くというマスコミの行為は、いい加減どうにかなりませんかね。まだ家庭環境を叩く方が、心理学的には的を射てるというもので*4。
ゲームをスケープゴートに使わないで欲しいなあ。
*1 森昭夫教授。在学中は必修授業でお世話になりました。教科書はあのゲーム脳の本でしたが。
*2 そんな長時間やってりゃ、そりゃなあ。
*3 現実世界はリセット出来る、と思っている小学生が多くて問題になったこともありましたが、高校生ならまだしも小学生ならそれくらい良いじゃないかと。まともにアンケートに答えているかどうかも怪しいし。
*4 いずれにしろ、マスコミが言うとどれもこれも視聴率のためなんじゃないかとしか思えないのが微妙なところ。しかしながら局によって全然違う考察が展開されるのであれば、様々な観点からその事件を知ることが出来てとても有意義であると思うのだけど、今はどこを回しても同じことしか言わないのが宜しくない。だから無機質な NHK が一番客観的なんじゃないかと思ってしまう。たぶんその通りですが。
■ [雑記] 同人音楽の森とやらからメールが
こないっす。いや全く要らないですが。
先日こんなことを書いたからなんじゃないかとか思ったりもするけれど、まあお兄ちゃんが書いている通りで、実際のところ、作ったアルバムを売るっていう感覚は確実に「商売」という言葉に括られるのよね。
ただ、お兄ちゃんと若干感覚が違うのかなあと思う(単純に明言してないだけかもしれないけれど)のは、その「売る」という行為すら「同人」の括りに含まれているという点。だって、自分の手で作ったものを自分の手ずから売るのって、とっても楽しいしとっても嬉しいんですもの。そんなものをわざわざ買うのは同好の士だけであるし、これを「同人」と呼ばずになんと呼ぶのか? と思わざるをえない。と言っても、遅れて同人の海に飛び込んだ自分のマイ勝手定義ですけど。
でもそこに企業媒体を挟んだ瞬間、それはやはり同人ではなくなると思う。
次のケースは二次創作だけれど、 AQUAPLUS の二次創作物ガイドラインにも、次のように書いてある。
二次創作物を、業者等第三者を介して一般流通させることは同人活動とは見なしていません。
これはその通りで、その業者等第三者には「営利」が発生しているわけで、当然ながらこれはもう作品制作を楽しんでやっている同人の範疇からはみ出ているとしか言いようがない。
「sweet Avenue」の時は便利だからと流通機関を使ってしまったのだけれど、今ではちょっと軽率すぎたかなあと思う。悪いとは思わない。けれどそこには他の多くの人間の多くの思いが混じって澱んでしまうということも考慮しなければならなくて。結果として、そのリスクを負ってでも流通機関を用いるかどうかは、結局のところ活動団体次第ではあるのだけれど。
話があっちいったりこっち行ったりしてしまったけれど、何が言いたいかと言うと、「Bifrost」いい加減通販開始しないとなあってことかな! 忘れてた!
今では上記の考えも踏まえた上で、まあ多くの人の手に渡るのであれば流通機関もやむを得ないリスクなのかなとは思ってます。次に利用するのはいつになるのか知りませんが。リアル仕事的な意味で。
少なくとも が CD を出さないのは、こんな理由ってことでご理解いただければ幸いかと。